全国「精神病」者集団の歴史をたどるために 少しずつ古い文書をご紹介していこうと思います 山本眞理 (1) 鈴木國男君へのレクイエム(鎮魂歌)
全国「精神病」者集団の歴史をたどるために 少しずつ古い文書をご紹介していこうと思います 山本眞理
(1) 鈴木國男君へのレクイエム(鎮魂歌)
鈴木國男君、いや、デカパン、覚えているかしら。
私達二人は上京し、「関東赤堀さんとともに闘う会」の結成集会に参加、二人でその決議文を書いた事を…。 久しぶりの上京で疲れ果てた私に「姉さん疲れただろう。休もうか」と声をかけてくれた貴方の優しさを私は忘れない。忘れるものですか。 いまも、東京駅構内で静かに「国鉄の歴史」を示す、あの「機関車」の傍(はた)のその出来事を…。 あの日の貴方の優しさと、熱い同志の血を私はいまも偲びます。
貴方は、「赤堀さんとともに生きる」と誓ったじゃない。
私達は、赤堀さんの闘いに連座し、殉死する覚悟をしたじゃない。
その貴方を大阪拘置所が虐殺しました。赤堀政夫さんのフレームアップを糾し、その権力犯罪への復讐半ばで死ぬなんて、いまも残念でなりません。 それに、殉死を誓った私への裏切りじゃないの?
いとしき裏切り者よ。
いとしきデカパンよ。
いとしき殉教者よ。
デカパン、いま、こうして目の前に解放された赤堀さんがいます。
デカパン、貴方の思いは実を結んだわ。
デカパン、拘置所は貴方に地獄の釜を用意し、あなたをなぶり殺しにしました。支援者も、弁護士も、貴方の深刻な状況を知らずに…。全て自覚欠如でした。
貴方の変わり果てた姿を私に突きつけたのは、忘れもしない1976年2月16日。
病気の貴方を「保護房」に叩き込み、厳寒2月に、「房内の換気口」を廻し、冷たい風を誘い込み、体温低下を促す「コントミン50ミリ」を投与し、貴方を殺したのは精神科医師でした。
貴方がじわじわと体温低下させているのを放置したのは、医師の差別性と犯罪行為でした。赤堀さんもそうした差別と司法犯罪の犠牲ですね。
検察、警察の調書を鵜呑みにして、赤堀さんを「精薄」・「うそつき」と描いて、「死刑囚」へと叩き込んだのも精神科医師の仕業でした。
デカパン、貴方が「俺の事が20分の診察で解ってたまるか」と桐喝した相手も精神科医師でした。
精神病者の烙印は「言葉すら無効化」させます。それが排外と差別の根っこですね。
デカパン、あなたと赤堀さんを結んだものは、差別的医師達の犠牲者同士の連帯でした。権力犯罪を打つ熱い連帯でした。
デカパン、貴方は働きながら金をため、金をためては活動し、活動しながら書き続け、「精神障害者解放」の夢を綴ったわ。
そんな中で、貴方は身を依せる「釜日労」からも差別的に追放され、理解は得られなかった。
悔しかったでしょ。私はもう一人の精神病者も排除させない。
貴方の屍は病院の安置室に置かれ、葬儀もないまま一人旅立ちました。
貴方は茶毘に伏されても、私に問いかけ続けていたわ。
「姉さん、獄中精神病者の仲間を大切にしてやあ」と…。
貴方の無機質化した白骨は、私にそう繰り返し、繰り返し問いかけ続けていました。
デカパン、その呼びかけで覚醒した私は、いまもその約束を守り続けています。
私はひたむきに「精神障害者」の刑事事件救援の担当者を継続しています。
貴方との約束ですもの。
そして、「民衆よ。『犯罪者を裁くな』。『監獄で病み苦しむ精神障害者を裁くな』、決して裁くな」と…。いまも貴方と連帯しながら、私は生きています。
デカパン、貴方の想いは赤堀さんへと引き継がれ、赤堀さんはいまも死刑囚時代の仲間を熱く語り、袴田事件・名張事件・死刑廃止へ闘いを継続しています。貴方の想いと情熱は赤堀さんの想いと重なり連綿と続いています。
貴方をなくしてから29年目、また、暑い夏がやってきました。事あるごとに純粋だった貴方を思い出します。
精神病者集団第一回集会で、貴方は「キチガイよ。刃物を取ってやり返せ」と叫んだその一声はいまも心に響きます。その勇姿は鮮やかに私によみがえります。
デカパン、貴方の「精神障害」解放の意思は仲間に引き継がれ、烈しくもえ続けています。私はもう一度貴方に会いたい。心から会いたい。
決して瞑目せず、私達をいつまでも見つづけてください。
合掌
2005年8月15日大野萌子
(編注 鈴木國男氏は1976年2月16日 大阪拘置所で虐殺された。ご母堂の手による国賠訴訟に勝利)
参考文献

